店員:レジ袋おつけしましょうか?
客:大丈夫です
よく見かけるごく普通のやり取りです…などということは、口が裂けても言いません。なぜなら、よく見かけはするが普通ではないから。それどころか、甚だしい誤りです。
何が誤りなのか。
まず、訊かれたことに答えていません。
「つけますか?」に対する回答は、「はい」「いいえ」のいずれかです。それなのに、「大丈夫」なんて答えているわけですから。そもそも、何が大丈夫だというのでしょうか(笑)
どうしてこんなお門違いな返答をしてしまうのか。おそらく多くの方が次のように思うはずです。
「(しなくても)大丈夫」を省略したもの。
でも、これって「大丈夫」の使い方を理解していませんよね。
本来、この言葉は、そのままでは何かしら望ましくないことが想定されるときに、それを否定するために使う言葉です。
- 落ちそうになっても、命綱があるから大丈夫だ → そのままでは、落っこちてしまう
- しっかり補強したので、強く引っ張っても大丈夫だ → そのままでは、切れてしまう
こんな感じですね。
結局、彼らは勝手に店員の言葉を変換し、次のように返答しているわけです。
店員:レジ袋おつけしましょうか?
客:そんな心配をしてくれなくても大丈夫です。
万が一、まだ分かりづらい方がいた場合のために添えておきます。
- 店員さんは心配なんかしていませんし、大丈夫かどうかなんて気にしていません。
- レジ袋をつけるかどうか以外のことはどうでもいいんです。
- 業務だから言っているのであって、何かを心配しているわけではありません。
思い出してください。大丈夫という言葉は、何かしら望ましくないことが想定されるときに使われるはずでした。
「レジ袋おつけしましょうか?」のどこに望ましくないことがあるのでしょう。そもそも、心配する必要がありますか?
もし、レジ袋をつけなければ問題が起こるとしたら、強制的にでもつけるはずです。お店側の責任が問われますからね。
だから、店員さんが心配をするなんてことはあり得ないわけです。なのに、「大丈夫」なんて答えるなんて、どれほど的外れなことでしょうか。
「つけますか?」↔「大丈夫です」
いい加減奇妙な感じがしてきたのではないでしょうか。
では、いよいよ本当に重要なことについて。
このおかしな返答をする人びとの心理は?
おそらく、ハッキリ拒否することを避けたいのでしょう。
相手に悪いというつもりなのでしょうね。
その考え自体は問題ありませんが、そう考えることになってしまうことに問題があります。なぜ、そんな考え方になってしまうのか。
それは、「感謝の念」が欠けているからです。
感謝する気持ちがないことを、気遣いなんかにすり替えてはいけません。感謝の念がないから、余計な気遣いが必要になるのです。しかも、本当は気遣いではなく気苦労です。
相手に感謝することで、その後に拒否しても相手を拒絶することにはなりません。
「ありがとう。でも、けっこうです」
堂々と拒否するべきなのです。しっかり感謝したならできるはず。
「けっこうです」と堂々と言える人が増えることで、この世界に感謝の輪が広がっていくのです。
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