「事実と違うことをいうことが嘘なのではない。そこに人を騙そうという悪意が含まれている場合に嘘というんだ」
お父さんが我が子に向かって説教しているシーンです。これは「嘘も方便」を説明する際に適した説明でしょう。
別に違和感はありませんよね。変なことを言っているわけではないし、すんなり聞けてしまいます。この一見どこにも誤りがなさそうな話に、どういう結末が用意されているのでしょう?
そもそも、事実を正確に捉えられる人間などいないんですよ。一人もいません。
早速、それをあなたに実際に体験していただきましょう。
問題
次の画像のAとBのマスの色を比べてください。さて、濃いのはどちらでしょう?
つい、見えてしまうのを防ぐため、正解はこの下の方に小さく表示させておきますので、スクロールにご注意ください。
もう少し下にあります。
そろそろ、正解が表示されますよ。
正解は、
どちらでもない
でした。
つまり、AとBは全く同じ色なのです。
「そんなバカな! どう見たってAのほうが濃い」と思われることでしょう。無理もありません。というより、それはあなたが正常である証拠です。
どうしても納得がいかない方は、この画像をプリントアウトしてA、Bのマスを切り抜いて並べてみることで、空いた口が塞がらなくなる体験ができますよ。
よく脳は騙されやすいなんていいますよね。このように、脳には事実などお構いなしに勝手に補正する機能があるのです。もちろん、それが脳の優れた機能には違いありませんが。
そこからいえるのは、比喩的な意味で事実というものは存在しないということです。
だとすれば、「事実と違うことを言う」なんてこと自体が不可能なことなのです。事実を正確に認識することが不可能なわけですから。
でも、現実は存在します。なぜなら、現実はその人固有のもので自分で作り出しているものだからです。一人ひとりが好きなように見て、好きなように作り出しているわけです。ですから、明らかに存在するものです。
先ほどのお父さんの例では、この現実と異なることを口に出しているのです。つまり、自分で作り出した現実を否定する行為を嘘というのです。事実ではなく現実であることに注意してください。
悪意があるから、他人に被害が及ぶから、といったことは嘘の定義に何ら関係ないことです。
もっとも重要なことは、自分で作り出した現実を否定することとは、自分の人生の責任を放棄していることだということです。つまり、嘘がいけないのではなく、責任を放棄することがいけないということなのです。
では、次に、どうして責任を放棄することがいけないのかについてお伝えします。
そのような人たちは、次のように考えているのでしょう。
人生というものは、どこかで誰かにより作られ、自分はその影響を受けて生きている
こういった在り方を他人源といいます。そのままでは、いつまでも被害者の立場から逃れられません。
今後、お子さんに嘘がいけない理由を問われたときは、「他の人が困るでしょ。迷惑かけないようにしないとね」などと答えておけばことは足ります。でも、それは単なるごまかしにしかなりません。
親として子どもにごまかしなどできないという方は、次のように答えてあげてください。
「嘘というのは、現実と異なることを現実であるかのようにいうことで、自分が創り出した人生の責任を放棄しているんだよ」
幸せを感じられない、引き寄せられないなどという方は、まずこのことを意識してみてください。
自分が意識しているものは事実ではなく自分で勝手に作った現実なんだ。これがヒントです。
完全に腑に落ちたとき、目の前にかかった霧が晴れていることでしょう。
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