ふと時計に目をやると、12時34分56秒を指していた。なんていうことがありませんか?
もちろん、4時44分44秒でもかまいません。
こういった数の並びを目にしたときに、なんとなくうれしい感じがして、思わず喜んでしまったりしまいますよね。
反対に「そんなもの珍しいものでも何でもない」と冷静な方もいることでしょう。
もちろん、どちらが正しいなどということは決まっていません。でも、どちらが理想的かと考えてみることには意味があります。
個人的にどちらが好きかといえば、前者の素直に喜ぶ方です。僕自信がどちらなのかというと、後者です。正確には後者でした。
喜んでいる人を見て、「そんなものを見て何がうれしいんだ?」「特別なものじゃないし、またくり返されるというのに」などと思っていました。
次のような考え方をしていたのです。
12時34分56秒はその日にしかないわけではないし、間違いなく翌日またやってくる。決して珍しいものではない。また、10時16分22秒と価値が違うわけでもない。では、ちょうどその瞬間に文字盤に目をやった、というそのことに意味があるのか?
いや、11時32分41秒をちょうど目にすることと、何も変わりない。結局、他と何も変わらないものを特別視しているだけだ。
たしかに、理屈からすればその通りです。とはいえ、かなり冷めていましたね。
ところが、このような見方しかできないと、人生はつまらないもので終わってしまいます。
両者には決定的な違いがあるんですよ。素直さ、人間らしさの類ではありません。
正解は、
女性性の開き具合
がまったく違います。つまり、受け入れる力が両者の間では、まったく違うんですよ。
ただ、注意していただきたいのは、何を受け入れるのかという点です。12時34分56秒をちょうど目にした、というような事象ではありません。
そのときの自分の感情を受け入れられるかどうかということです。
女性性が十分開いていると、「ああ、ラッキー! うれしいな」と何も考えずに受け入れられます。受け入れている感覚すらないほど自然なことです。
一方、後者のようなタイプは、何とかして何でもないことにしようと、否定してかかります。
これが両者の決定的な違いです。
自然な感情を否定する必要などありません。まったく必要性のないことをなぜするのか?
僕はこれに答えることができないことに気づき、無駄な行為をやめました。しかも、そんなことをすべてについて行うことは不可能です。
「いい天気で気持ちいいなあ」 という人に対して、
- なぜ、いい天気だと気持ちいいのか?
- どこからがいい天気と呼べるのか?
- 何の目的でそれを自分に伝えるのか?
こんなことをいっていたら、社会から爪弾きにされてしまうでしょう。
正しいことが重要なのではありません。「正しいかどうか」なんてことは、ある条件下のある前提のもとで、限定された状況でしか規定できません。
普段の生活で正しいなんていう場合、ほとんどがその程度のものでしかありません。
ところで、子どもが扉を開けっ放しにして出ていきました。さあ、あなたならどうしますか?
- A.呼び戻して、きちんと閉めさせる。
- B.自分でそそくさと閉める。
- C.気にせず、そのままにしておく。
- 開けたら閉じるが正しいマナーだという頑固な方はA
- 隙間風が嫌なので、閉まっていることが大事だという方はB
- 他にもっと気になることがあって、そんなことどうでもいいという方はC
なんてことになるかもしれません。しかも、同じ人でもそのときの気分によって違ったりしますからね。
「決まりを守らせなければ、きちんと躾けなければ」 などと思ったら、次のように考えてみましょう。
開けた扉は閉めなければならない
これは、この世の中の絶対の真理であり、躾の大原則である。
いかが?
アホらしくなってきませんか?
いかに普段くだらないことに縛られ、(見えない何かに)強制されていることでしょう。
正しいことよりも、自然なことを重視して生きることで、ストレスが一気に軽減されますよ。
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