「りんごはかじったときの、あの感触がたまらない」
「だけど、バナナはびちゃっとして気持ち悪い!」
なんて言っている人を想像してみてください。
誰かにこんなふうに言われて、「そうか、バナナは気持ち悪いものなのか…なるべく食べないようにしよう」なんて思いますか?
ハッキリ言ってどうでもいいですよね。
誰が何を嫌おうがあなたには関係ありません。そんなことで何か影響を受けたりすることもありません。なのに、こういうことを言う人の目的は何なのでしょうか。
- あんたもバナナを嫌いなさいよ
- あたしと同じ好みになってよ
- あんなもの一緒に嫌おうよ
無理やり例を挙げてみましたが、どれも違いますよね。
さて、ここでりんごとバナナに目を向けてみましょう。
どちらが優れていますか?
どちらがよいものですか?
どちらが正しいでしょうか?
そんなことが決まっているわけありません。正解がないものだといえます。
なのに、どちらかがどうだと主張することは無意味です。というより、不可能だといってしまっていいでしょう。
「バナナはカリウムが摂取できるから、りんごより優れている」
「りんごは医者いらずといわれるほど栄養価が高い」
もちろん、そうなのでしょうが盲点があります。
すべてある面から見た場合の話でしかないんですよ。他の面からみたら、違う見方をしたら、ということを忘れて、つい自分に都合のいいことを主張してしまうんですね。
このことが理解できると簡単に気づけることがあります。
「あの人、大っきらい!」
これを正しく【翻訳する】ことができるようになるんですよ。
「自分はあの人を嫌う性質を持っている人間なんです」
ってね。
間違っても、あの人が嫌われるような人だなんてことにはなりません。もちろん、悪人になったりもしません。
だって、その人を大好きな人もいるし、そもそも誰が嫌おうが、嫌われた人の人格が決めつけられることはありません。それはあくまでも嫌った人のキャパシティ(バナナの別の食べ方を知る力)が決まるに過ぎません。
結局、そんなことを言う人が人から嫌われやすくなるだけです。
これがよくいわれる「人のことを悪く言うものじゃありませんよ」の本当の理由だったのです。
嫌いな人の良い面(バナナの別の食べ方)を見つけようとすることが大切ですね。
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