「あなたはどこにいますか?」
こう質問されて答えられない人はまずいないでしょう。自分がいるところを伝えるだけですからね。
でも、
あなたは誰ですか?
これに即答できる人って、そうそういないのではないでしょうか。
ところで、爪切りは好きですか?
まあ、好き嫌いに関係なく、たいていの人は爪を切りますよね。
もちろん、「切らずにヤスリで削るだけ」という人も含めます。
さて、その切った爪をどうしますか?
- 保管する
- 飾る
- 常に持ち歩く
そんなわけありませんよね。捨てるのが普通でしょう。
美容室で髪を切り、「自分の髪の毛なんだから持ち帰る」などという人はまずいないはずです。
事故に遭われた方は一人じゃないの?
たとえば、不幸にも事故などで片足を失った人がいたとします。その場合、その人は、もう”一人”と呼べないのでしょうか?
片足分の体重が減ったから、約5分の4人とか?
分数なんかで数えられたらたまりませんよね(笑)
では、自分とはどこまでなのでしょう?
もうおわかりでしょうが、私たちが「からだ」と呼んでいるこの肉体は、物質に過ぎません。
先のように、どこまでが自分なのかを定義できないことからも明らかです。
現に亡くなった方の体は肉体ではなく遺体と呼びますよね。亡くなった途端、人間として扱われることなくモノ扱いされるようになります。しまいには火葬されたりします。
このことからも明らかに肉体が本質ではないことが判ります。
肉体とは魂の乗り物です。
「新しいクルマに買い換えたいな」と、パンフレットを眺めている方がいたら、より解りやすいでしょう。
肉体も乗り物です。気安く乗り換えできないという違いがあるだけで、クルマと何ら変わりません。
クルマの修理工場に当たるのが、人間では病院というわけです。
簡単に乗り換えられない代わりに、人間の場合、大きなメリットがあります。
クルマの場合、メカニックさんでない限り、自分でいじくって直したりなんてことは難しいものです。でも、人間は病院に頼るだけでなく、乗り物である肉体を自分でよい方にも悪い方にも変化させることができます。
「病は気から」
先人たちの教えが物語っています。これが私たちの本質が肉体ではなく意識体だということの証明にもなります。
あなたが外界の何かしらに意識を向けて(観察して)はじめて、その存在が確定します。
だとすれば、ふだんあなたが自分自身に意識を向けていないときって、あなた自身が存在していないのかもしれませんね。
そんなときのあなたって、単なるスペースになっているんですよ。本来の姿(姿と呼べるかどうかわかりませんが)である意識体になっているといってもいいですね。
でも、そうなっている自分を確認することはできません。どうがんばっても不可能です。
だって、そういうときって、個体としての自分は意識の中から消えてしまっているんですから。
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