欲を出すことは世界平和に通じる

普段、自転車に乗っている方には、かなり恐い話が出てきます。自分が生きていてこれを読んでいることが信じられなくなることでしょう。

ある日、クルマで出かけていきなりのことでした。

横道から本道に出るのに、「見えない歩道」を横切るところがあるんですよ。

よくある、一部歩道が切れていて車道になっているアレです。クルマ優先なのは当たり前のことですよね。

ただ、その当たり前が通用しないのが自転車族。

彼らが猛スピードで突進してきたのです。

ちょうど坂道になっているので、どんどん加速しながら滑り降りてくるではないですか。

滑ってきた

ほんとにそんな感じ。そして、そのまま平気で車道を突っ切るではないですか。

まさに、ノンストップ

夜の黒ずくめの人たちなんか、視界に入りやしません。カラスか忍者かって感じですよ。

しかも、彼らは優先関係なんか知ろうはずもありません。なりふり構わず突進してきます。

まさに命知らず。

クルマが左右に除けてくれて、真ん中を通れるようになると信じて疑わないのです。

まるで、自分がモーセにでもなったかのようです(笑)

そんなとき、普通はどうしますか?
「こっちが優先なんだから、オマエらはおとなしく止まれ」なんてのは通用しません。彼らは優先関係の存在すら知りません。

だからといって、轢き殺しちゃあマズイですよね(笑)

もちろん、良識ある方々はまず間違いなく譲ることでしょう。

ここで、譲る際の考え方が問題になってきます。

「危ねえな」では不毛です。普通の反応ですが、ただ大損なだけです。ヒヤッとさせられ、不愉快になり、何一ついいことはありません。

これ実話なんでハッキリさせておきますが、その日僕はこう思いました。

「ありがとう。譲るチャンスをくれて」

ヒヤッとするどころか、感謝したわけです。後づけみたいですが、この記事のヒントにもなった紛れもない事実です。

その直後、こんなふうにも思いました。
「今日はこのあと何回こんなシーンがあるかな?」

実際、15分程度の距離なのに、あと2回、計3回も譲るシーンがあったではないですか。

普段はそうそうないですよ。たいてい一度もないことがほとんどです。

なぜ、このときに限ってこんなにあったのでしょうか。

  1. 月末で交通量が多かったから
  2. 雨で視界が悪くて、先を見通せなかったから
  3. 東南アジアから大量の不法入国があり、自転車を乗り回す人が多かったから。

正解は4番の

僕がそういう意識でいたから

です。

「何かあったら、譲るぞ」という警戒心がひときわ強かったためです。

そういう意識が乏しいときって、譲るべきシーンでもそれ自体に気づかなかったりするものです。また、当たり前のごとく譲ってしまう際にも意識がいきませんから、自分の中では存在しないのと同じなのです。

結局、普段は、「何も起きやしないだろう」という、慢心があるためにヒヤッとさせられるわけです。もっとも危なく自分にも不利益な「だろう運転」というやつですね。

ところが、こんな意識でいると、
「やったー! これで○回目だ」
とゲーム感覚で楽しめちゃったりしますから面白いものです。危なさはまったく変わらないのに、ヒヤッとなんかしませんから不思議です。

どうですか、この違い。

人生は自分でつくっていることのよい例でもありますね。

公安委員会の手先というわけじゃありませんが、運転中の意識の持ち方のお話みたいになってしまいました。

たしかに、交通安全は大切ですが、それが主題ではありません。

例の日に、僕はこんなことも思いました。
「行きに3回譲ったんだから、帰りは何度譲ってもらえるかな?」

自分のしたことは巡り巡って必ず返ってきます。実際、早くもその日に1回譲ってもらいました(驚)

原因と結果の法則は、宇宙の根源にまで通ずる真理です。因果応報という言葉のほうがしっくり来る方もいらっしゃるでしょう。

これはお返しや見返りを期待しては効果がありません。でも、この場合の期待することとは悪しき行為ではありません。

そうなることがわかっていることに、ちょっとした期待をしてワクワクしたっていいじゃないですか。

「自分が譲ってもらえるなら、どんどん譲っちゃうぞ」

このちょっとしたワクワクで、どれだけ世界が平和になることでしょう。

しかも、これって自分以外のすべてを信頼して初めてできる行為ですよ。みんながほんの少しの欲を出すことで、どれだけ他の人によいことをできるか。

しかも、無理なく、喜んで、自ら進んでできるというのがすばらしいですよね。

投稿者プロフィール

ほしのみのる
ほしのみのる高次元ライフコーチ
いつも後頭部から50cm上にいる自分を意識するようにしています。自分が見たものに反応するのではなく、何かを見ている自分を意識する生き方ですね。