「未来のために」という言葉を聞いて、ネガティブなイメージを持つ人は少ないと思います。それどころか、好ましい印象を受けることのほうが多いかもしれませんね。楽曲のタイトルに普通に使われたりする言葉ですから。
未来に限らず、将来、行く末、後世など、いろいろな表現方法がありますが、どれもネガティブなイメージを与えたりしません。
たとえば、「将来」を使った場合、
- 将来のために勉強する
- 将来のために貯蓄する
- 将来のために頑張る
というように、きちんとしているという評価を受けることが多いようです。
でも、僕は正反対なんです。そんなことをする人は、ただの愚か者にしか思えません。
もちろん、悪いことだとか許されないことだといった意味ではありません。ただ、「気の毒だな」と思ってしまうのです。
この宇宙には自由意志の法則というものがあることは、以前の記事でお伝えしたとおりです。これは宇宙の法則よりも優先されるもので、他のどの魂もそれを侵すことはできません。平たくいえば、好きにしていいわけです。
では、この記事自体に意味がないのかといえば、そういうお話ではありません。
あくまでも幸せな人生を望み、満ち足りた生活を求めているのに、「将来のために」などという考え方をしている人が気の毒だということです。
おそらく、この続きはお察しのことでしょう。
今を犠牲にしているから
という聞き飽きた理由です。
そして、これに対する反論はお決まりですよね。
「そんなこといったって仕方ないだろう」
「やらないわけにはいかないから」
のような感じでしょうか。
実は、そういう反論をする人たちはもっと気の毒だというのです。あることに気づかないからです。
おそらく、そういう人たちは次のように思っているのでしょう。
「きちんと将来のために準備して、もう準備が必要ないその将来が来たときに今を存分に生きよう」
とても堅実で理想的な考え方です…などと口が裂けてもいいませんよ。
なぜなら、そんなときは来ないからです。未来永劫やって来ません。
それ以前に、未来などというものがやって来たりはしないのです。
考えてみてください。
「はい、ここからがいついつ予定していた未来です」なんて通知がどこからか来たりしますか?
「そうか、今があのとき想定していた未来か。このときのために備えておいたんだから、ここからはもう安泰だな」
こんなことを言う日が来ると思えますか?
常に今なんですよ。
いつどんなときでも過去のあるときに未来だったという修飾語のついた「今」に違いないのです。
ということは、「今とは将来のためにある」という考えをする人たちは、永久に変われません。
常に将来を案じ生涯今を犠牲にして
生きていくのです。
本人は気づいていませんが、わかっている者からすればこういっているようにしか見えません。
「未来のために今を犠牲にして生きることを人生という」
これに対しての反論も決まっていますね。
「いや、いつか安泰なときが来たら変わる予定だ」
でも、こんな反論が無意味なことは明らかですよね。本当にそうできるのなら、そんな日が来ないことに気づき今すぐ変えられているはずですから。
今変えられない人は、永久に変えられません。
- 幸せを感じられない → 将来を案じてしまうから
- 将来を案じてしまう → 未来が来ると思っているから
- 未来が来ると思っている → この記事の内容を受け入れないから
ということから次のことが成立します。
幸せを感じられない理由は、この記事の内容を受け入れないからだ。
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