ファッションにこだわる人が知らぬ間に失っているもの

『人間と動物の決定的な違いを考えていたら、とんでもないことに気づいてしまった』

というのが予定していたタイトルです。

でも、「そんなの決まってるさ、言葉を話すことだろ」と大勘違いしてしまう人がいては気の毒なので、急遽変更しました。

たしかに、「人間と動物の決定的な違いって何だと思う?」と問われると、ほとんどの人が次のように答えるでしょう。

  • 言葉を話すこと
  • 道具を使うこと
  • 二本足で歩くこと

一見、どれも合ってる感じがしてしまいますが、「決定的な」という意味ではすべて不正解です。

  • 人間のようにハッキリとした言語ではありませんが、動物の世界にもコミュニケーションの手段が存在します。
  • 精巧さの程度に違いがあるというだけで、動物も道具を使えます。
  • 熊などは二本足で歩いたりします。
Thinking time…

では、そろそろ答の発表と参りましょうか。

正解は

服を着ること

さすがに自分で衣類を作り、身にまとう動物は見かけませんよね。

ここでちょっと考えてみてください。

ファッションという概念が存在する理由とは?

防寒や、保護のためだけなら別の形態のもので構わないはずですよね。それこそ、ダンボールや新聞紙にくるまっていれば暖かいでしょうし。

何かしら、ファッションというものには、人間が人間らしく在るために重要な意味がある…というのが建て前なのでしょう。

(実際にはそんなものありません)

さて、投影の法則を思い出してください。どんなファッションだろうが、よい悪いは決まっていません。

それを見た者がどう感じるかでしかありません。ファッションという概念は、まさに投影の法則のためにあるものといえるでしょう。

言ってしまえば、お洒落をするということは

他者がさまざまなジャッジをして楽しむためのサンプル(標本)になる

ことです。

でもね、思うんですよ。ファッションにこだわる(他者の目を気にして、何を着ようか選択する)人たちって

自分の人生を生きていない

のではないかと。

(身だしなみは大切ですが、お洒落なんて必要ありません)

無人島で暮らしていたら、あなたはお洒落をしますか?」

この問いに、即座に「イエス」と答えられる人。すなわち、人の目など関係なく、「なぜかは知らないが、お洒落をすることが本質的に好きなんだ」という不思議な人。

そういう人だけなのです。自分の人生を生きているといえるのは。

このように、大多数の人々は、人の目を気にして値段やスタイルなどに振り回され、生きているのです。

自分の人生という最も貴重なものを失っている

ことに気づかずに。

そして、まさにこれがファッション産業がなくならない理由です。なくても困らないものがなくならないわけって、ものすごく奥深かったのですね。

しかも、誰が考えたのか「衣・食・住」という表現にも策略的なものを感じます。

3つのうち、いちばん要らなそうなものなのに、一番目にくるのが「」なのですから。

投稿者プロフィール

ほしのみのる
ほしのみのる高次元ライフコーチ
いつも後頭部から50cm上にいる自分を意識するようにしています。自分が見たものに反応するのではなく、何かを見ている自分を意識する生き方ですね。