「仕方がないから仕事に行くか」という人が気づいていない本当に仕方がないもの

「仕方ないからやるか」

あなたがそう判断したとしたら、その瞬間自分がしたくてしていることになります。

「いや、したくなんかない! イヤイヤするんだ」という反論をする方も多いことでしょう。

でも、違うんですね。

「イヤイヤ、仕方なしに」なんていうのは単なる言い訳です。自分の希望ではないにせよ、自分の意志で行うことには違いないからです。

では、何に対しての言い訳なのでしょうか?

「ああ、また朝が来た。会社に行かなきゃ。いやだな~」

サラリーマンのAくんのボヤキです。

このとき、Aくんに次のようにいってみたらどうでしょう?

「そう、だったら好きにしていいよ」

それを聞いたAくんは

「やった~! じゃあ行かないね」

となりますか?

そんなことはないでしょう。普段通りに出勤するはずです。

では、行かなくてよいと言われているのに、なぜ出勤するのでしょう?

答えは簡単。

行きたいから

です。それがAくんの望みなんですよ。

仕事なんか行きたくないから行かない。

そうやって自由にしたら、さまざまな不都合が発生することでしょう。

先ほどの例では、

  • 給料が支払われない
  • 上司にどやされる
  • 成績に響く
  • 解雇される
  • 他の職員の迷惑になる

などなど、さまざまな不都合があることでしょう。

そのような諸事情を考慮した上で、出勤するという判断をしているのです。

だからといって、「~しなければならない」ということにはなりません。

たとえそうでも、しなくていいのです。どんな不都合があろうが、それが義務になることなどはありません。

それにより、自分が困るのがいやだったり、他人に申し訳ないと思うから、するという選択をしているに過ぎません。

望みどおりにできないという原因が、イヤイヤ出勤するという結果を引き起こしているわけですね。

このように、自分の選択の結果が積み重なったものが人生というものなのです。

結局、すべて自由です。なのに、たいていの人は、仕方ないからという理由で、イヤイヤものごとを行いがちです。

なぜでしょう?

自由にしたときに発生する不都合に責任を持てないからです。

  • 「会社なんか行きたくないから行かない」
  • 「それによる不都合なんか、自分でどうにかしてやる」
  • 「給料なんかなくてもなんとかなる」

誰しも、そうできないから、仕方なく出勤するんですよ。

「決まりだから、仕方ない」

というのは逃げに過ぎません。決まりがあるお陰でかえって逃げやすくなっているのです。

本当はあるはずの「自分の好きなようにする手段」を見つけ出せない現状に甘んじようという妥協にほかなりません。

結局、Aくんは毎朝こういっているようなものです。

あ~あ、会社なんか行きたくないな。でも、自由にすることができない不甲斐ない自分なんだから出勤しよう

この世にしなければならないことなどないことに気づけずに、駄々をこねる大人が多いようです。

投稿者プロフィール

ほしのみのる
ほしのみのる高次元ライフコーチ
いつも後頭部から50cm上にいる自分を意識するようにしています。自分が見たものに反応するのではなく、何かを見ている自分を意識する生き方ですね。