自分を一言で表すことって、そう簡単ではないですよね。でも、敢えてやってみます。
自分を一言で表すなら…
「目玉焼きに何をかける?」と聞かれて、「ケチャップ!」と答えるような人が嫌いです。
という一文を読んだ際に、瞬時に文意が読み取れる人としか、関わり合うことができない人です。
・・・と、こんな感じでしょうか。
要するに、僕のことをケチャップ嫌いだと思ってしまう人とは関わりたくありません。
枠内の文では、ケチャップが嫌いだなんて一切言っていませんよね。そもそも、僕はケチャップ好きですし。
このように、《ものごとを俯瞰的にとらえられない人》が嫌いなのです。
万が一のために添えておきます
嫌いなのは、ケチャップでも目玉焼きでもなく、一般的ではないことを得意気に話す「その態度」です。
だって、醤油と答える人たちとは明らかに態度が違うじゃないですか(笑)
今度は、一言ではなく、思いっきり長く表現してみます。
文全体を捉えることができずに、目玉焼きやケチャップに意識を持っていかれてしまい、ケチャップ好きな僕のことを「目玉焼きにケチャップをかけることが嫌いな人」としか読み取れない論理的思考力が乏しい人(以後《そういう人》と略します)とは関わりたくないということです。
正確に言えば、「嫌い」だ云々ではないのです。世の中のほとんどの問題は、《そういう人》が存在していることに起因しているのです。
もし、世の中にササッと文意が読み取れる人しかいなければ、諍いや問題など起きようがないことは言うまでもないことです。
次の文、またちょっと長いです👇
だから、《そういう人》を自分の世界に取り入れないようにすることで、今ではもうすっかり陳腐な表現になっている「自分の世界は自分で創る」ことを意図的に実践しているわけです。
しかも、面白いことに、《そういう人》つてどういうわけか僕に反感を持ちます。
理知的な方には、毅然たる態度と評されるのに、《そういう人》には生意気だとしか感じられないのでしょう。
それにしても、理解できないことに反感を持つなんて面白すぎますよね。
せめて「何言ってるのかわからない」ぐらいに留めておくべきではないでしょうか。
そんなわけで《そういう人》とは、トラブルを未然に防ぐため、関わらないようにしているわけです。
一方、「プロフィールにこんなことを書くなんて、面白い発想をするな」と思う方とは、とても相性が良いでしょう。
そもそも、この文章自体があなたのような《そういう人》ではない方に宛てたものなので。
さあ、このあとのあなたの行動は?